講師プロフィール

 
 

谷 美千代

 
東京家政大学短期大学部卒業
 
故フジコ・ヘミング氏を育てた、故レオニード・クロイツァー氏(ベルリン音楽大学・東京芸術大学の教授を歴任)の孫弟子、中原淳子氏にピアノを11年間師事。
 
 
好きな演奏曲は
ショパン「スケルツォ第2番」「革命」
グリーグ  「ピアノ協奏曲 イ短調」
ドビュッシー「アラベスク」「亜麻色の髪の乙女」 他


 
【メッセージ】
私もピアノを始めた子供の頃は、初心者でした。だから、続けていく中で時々ぶつかってきた壁のことを、今でも忘れていません。
 
乗り越えるのが大変だった壁を覚えているから、生徒さんの心に寄り添うレッスンを心掛けています。
 
ピアノを通して皆さまの心が豊かになるお手伝いを、そして皆さまと一緒に成長していける講師を目指して頑張ります!

自分の好きなことをこうして仕事とさせて頂き、皆さまと音楽を共有できますことは、大変幸せなことです。心より感謝申し上げます。
 

  


 
 
 
 
 
 
 
 



 【ピアノ講師になるまでのストーリー】

※長いので、お時間がある方だけどうぞ。

 

私がピアノを始めたのは、小1の終わり頃です。幼稚園から始める人もいる中で、決して早いスタートではありませんでした。当時は女の子がいる家庭であればアップライトピアノがあり、ピアノを習っていることがスタンダードな時代でした。白黒、沢山の鍵盤が並んでいる楽器を1人で駆使して自由に音楽を奏でる姿に魅了され、「私もやりたい!」と親に願って、始めたのでした。

 

習い始めの3ヶ月位は、憧れのピアノを毎日弾けるようになって楽しかったですが、同時に「この程度かな?」とも思っていました。いつか憧れの曲を弾けるようになる…という未来図を描けなかったのだと思います。最初のお教室では大学生が自宅で片手間に教えていて、レッスン中もリビングのピアノのすぐ横で、お母さまが台所の調理や洗い物の音を響かせていました。生徒さんがレッスンに集中できる環境が整っていなかったんですね。先生自身も時折、眠そうなお顔で登場されたり、短パン姿でレッスンに臨まれることもあり、小1の子供心にも「チョット違う…」と感じていました。

 

その後、「東京から凄い先生がやって来た!」という父親からの情報により移籍した教室が、中原淳子氏のところでした。その後の高卒までの11年間に渡りずっと師事し、あらゆるテクニック・音楽性・ピアノへのストイックなまでの姿勢…その全てをご教授頂いた、尊敬する恩師です。移籍時に初めて訪れた際、スタンスの違いに驚きました。ヤマハグランド2台で生活空間とは完全に分断された、レッスンに集中できる環境・芸術家のような先生の佇まいから醸し出される、難しい曲も弾けるようになりそうという、圧倒的な説得力。場の空気感が既に、それを物語っていました。

 

私を鍛え上げてくれた恩師のことは心から尊敬し感謝をしていますが、同時に恐れてもいました(笑)。妥協が一切無いからです。何にも増して「ピアノが最優先」というスタンスは、教えを乞う門下生の立場からするとぐんぐん腕が磨かれていくので、この上なく素晴らしい師匠なのですが、だからこそこちらの都合・言い訳を全く受け付けてもらえませんでした。1週間のうち7日間、毎日しっかり練習していても「練習が足りない!」とよく言われました。中間・期末テストの時も一切手加減なし、時には「破門!!」と告げられることも(笑)。中学からは毎日2時間以上は練習する日々だったのですけれどね。そのため、教室全体のレベルが非常に高く、1人1人の演奏が大変素晴らしかったです。発表会では講師演奏でラストを締める必要が無かったのでしょう、協奏曲の伴奏以外で師匠が弾くことはありませんでした。

 

そんな畏敬の念を抱きつつ慕っていた師匠でしたが、レッスンでは最高に格調高く、贅沢な時間を過ごさせて頂きました。特に2台ピアノによるピアノ協奏曲の経験は、したくとも中々できるものではないので、心から感謝しています。数十ページもある長い楽譜を、ピアノソロと伴奏で息を合わせ弾き通す経験は、スタミナと集中力がさらに鍛えられました。当教室は2台環境ではないので協奏曲をレッスンに取り入れることはないのですが、私が講師となる決意をできたのは、幾人もの生徒さんを教えられるスタミナがあるという自負に繋がった、協奏曲の経験あってこそでした。とにかく1曲が長いんです。本来、ソリストのピアノとオーケストラを合わせる楽曲がピアノ協奏曲ですが、オケ部分をピアノ伴奏に変えて生徒と先生の2台で演奏できるようにしたものが、ピアノ教室で行なった内容ですね。少し本題からズレますが、修めた計4曲の協奏曲をご紹介したいと思います。

 

◆バッハ ピアノ協奏曲 第4番 イ長調  BWV1055 第1楽章

初めてのピアノ協奏曲は、小6の時でした。明るく華やかな長調で、演奏時間もそこまで長くはない9Pだったので小学生にも取り組み易く、2台ピアノの広がりと深みに魅了されました。バッハは、8Pのイギリス組曲 第2番 イ短調を修めた後だったので、この協奏曲は気持ちが華やいで好きでしたね。バロック調の室内楽的なあでやかさ上品さがあり、ちょっと貴族気分(?)に浸れる曲でした。

 

◆メンデルスゾーン ピアノ協奏曲 第1番 ト短調 作品25 第1楽章

16分音符の羅列に苦労したこの曲は、中2時に経験しました。冒頭から激しいシンフォニック調で怒りを感じさせるような部分はカッコいいのですがほとんどが短調なので、16P中、僅かに2Pのみ存在する長調部分の息抜きに救われながらこなしていました。短調は情感あふれる感じが好みなので、テーマや解釈が難しい短調との相性はそこそこなんです(これはピアノプレイヤー全体に共通すると思います)。特にラスト近くで、2オクターブ離れた同旋律を左右の手で激しく昇り下りする部分は、苦労していました。メンデルスゾーンは、ロマンティックな無言歌集の方が好きですね。

 

◆グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調 作品16 第1楽章

人類のほとんどが耳にしたことがある(?)この曲は、受験も済んでスッキリした高1時に経験しました。ノルウェー・フィヨルドの断崖を表現したかのような冒頭の短調部分も最高にカッコいいのですが、27Pあるうちの8Pの長調部分もまた、途轍もない爽快感と心地良さでうっとりして夢中になりました。グリーグは湖のほとりに作曲小屋を建て美しい景色を眺めながら曲作りをしていたためか、自然の情景描写が秀逸な作品が多く、4曲の中で1番好きな曲でしたね。最高に刺激的な経験でした!抒情小曲集も情感があふれ聴き映えもするので、大好きな作曲家です。

 

◆リスト トーテンタンツェ 死の舞踏 S.126

グレゴリオ聖歌の旋律を取り入れたこの曲は、高3時に経験しました。この曲に取り組んで感じたことは…超絶技巧のリストらしく、「人間が弾ける限界を超えてきている曲」ということでした。不謹慎にも「これはプロの演奏家が取り組むべき領域の曲であって、一介のピアノ学習者が手を出す曲ではない」と感じ、モチベが下がってしまいました。33Pもあり、そのうち長調部分は1Pしかなく、全体的にタイトル通りで重苦しかったのが原因です。出来栄えはともかく、何とか全体を通して一応は弾けていましたが、グリッサンド(音階を下から上、上から下へ爪を滑らせて連続で鳴らす奏法)を多用するカッコいい部分と、長い地獄の曲調の中でわずかに現れる天使の曲調部分ばかりを、普段の練習では弾いていましたね。グリッサンド奏法を身につけられたことは良かったです。

 

こういった経験から、取り組む曲は先生が選び渡された曲ではなく、いくつかの選択肢の中から本人が自由に選べるようにすべきだ、との考えに至りました。当教室では基本が大事な導入時は決まった練習曲に取り組んで頂きますが、ヘ音記号に入る頃からご本人のレベルや好みに合わせ用意した数曲から、選んでもらうようにしています。それが功を奏し、1人1人のモチベ維持に繋がっていると感じています。

 

グリーグのピアノ協奏曲に関しては、発表会で演奏させて頂きました。1台はホールのヤマハピアノ(師匠が伴奏担当)、もう1台は何と、スタインウェイ・フルコンサートグランドをレンタルで搬入して、生徒に弾かせて頂けたのです!これは断じて当たり前のことではなく、そういうお考えの先生のもとに師事できたからこそで、そのご縁と運と師匠に感謝です。この時から、スタインウェイに対する憧れと思い入れが自分の中で育まれていきました。ベーゼンドルファー・ベヒシュタインと並び「世界3大ピアノ」と呼ばれる中でも、筆頭に挙げられるスタインウェイ&サンズ。高価なので当教室ではアップライト型ではありますが、教室に導入した経緯です。

 

師匠のスタインウェイ志向は、中原淳子氏のさらに師匠の、故・岸川基彦氏から引き継いだもののようでした。岸川基彦ピアノ研究会では、教室内にスタインウェイ・フルコンサートグランドを2台置いてあったといいます。氏は最初日本人の先生に師事されていたようですが、その先生が故・レオニード・クロイツァー氏と親交があったので、結果的にクロイツァー氏からも教えを受けていたと聞いています。岸川氏の本物志向は、きっとそんな出会いからも発展していったのでしょう。

 

クロイツァー氏はピアニスト・指揮者・ベルリン音楽大学教授であられましたが、ユダヤ系ドイツ人であったため、ナチスに追われ日本に移住されたのです。戦時中、氏は大変お辛い思いをされたと思いますが、この出来事がなかったら、本物の音楽が脈々と引き継がれた、岸川氏・中原氏と、私の出会いもなかったのだと思います。そう考えると、何だかとてもドラマチックです!私は単なる平凡な一介のピアノ教育者に過ぎませんが、この本格志向を衰退させてはいけない、という良い緊張感を持ち、日々精一杯仕事に向き合わせて頂いています。

 

さて、私が生まれた時にはクロイツァー氏はすでにお亡くなりになっていたのでお会いしたことはありませんが、岸川基彦氏には1度だけ、小学2年の時に直接お会いしたことがあります。岸川基彦ピアノ研究会の発表会に、「中原淳子クラス」として3名選抜され、出演した時のことですね。演奏が終わり舞台袖に戻った時、「いい子だね~~!!」と、頭をワシャワシャと陽気に撫でてくださったのを、今でも鮮明に覚えています。初めてお会いしたのに、すごく嬉しかったですね。普段師事していたわけでもなく、人生でたった1度お会いしただけに過ぎないのに、何十年経った今もこうして心を温めてくれる、貴重な出来事になりました。そこには、愛が感じられたからでしょう。私も、誰かにとってのそんな人物になれたらいいな…と願いながら、生きるようにしています。

 

岸川基彦ピアノ研究会でも、2台ピアノによるピアノ協奏曲にもちろん取り組んでいましたが、岸川氏の他に類を見ない凄さとしては、何とピアノ(生徒)とオーケストラ(東京交響楽団)によるチャリティコンサートを開催してしまうことでした。当時私もチケットを頂き鑑賞に行きましたが、日比谷公会堂は座席数2,000席以上にもかかわらず、満席だったのを記憶しています。小学高学年から高校3年までの生徒が、次々と入れ替わりでオーケストラとの華麗な共演をしていくのです。度肝を抜かれました!!国際コンクール等で、参加費を払いオケとの協奏曲による審査が行われるものはありますが、一介のピアノ教室が発表会の一環で行うということは、世界広しといえどそうあることでは無いです。ヨーロッパではあるのでしょうか…?少なくとも日本国内においては、99.9%、無いですよね。私自身はオケとの共演経験はもちろんありませんが、それでもこの確かな師弟関係の系譜に繋がっていることに、感謝と誇りを感じました。

 

さて話を戻しますが、クロイツァー氏は日本移住後、東京音楽学校(現・東京芸術大学)の教授を務められ、日本の音楽界の向上に大きく貢献されました。いくつかの面白い逸話があります。演奏活動中にコンサート会場が停電をした際に、協奏しているオーケストラは演奏をやめざるを得なかったのに、ただ一人クロイツァー氏だけは暗闇の中でも演奏をやめなかったそうです。まるで漫画のようなエピソード、停電後も暗闇で手術続行するブラックジャックのようですね。現実世界では、ピアニストの辻井伸行さんなら同様のことが出来そうです。

 

氏は、演奏家としてだけでなく指揮者としての活動も行っていました。作曲家のセルゲイ・ラフマニノフとも親交があり、ラフマニノフ本人によるピアノ協奏曲のコンサートで、指揮者を務めたこともあったそうです。世界的指揮者の故・小澤征爾氏は、日比谷公会堂でクロイツァー氏がピアノを弾きながら協奏曲「皇帝」を指揮したのを見て、指揮者になる決心をしたそうです。ピアノで両手がふさがるのに、どうやったのでしょう?事前に合わせ練習を沢山して、ピアノソロの無いオケ部分の時だけ指揮を振ったのか…具体的には分かりませんが、そんな逸話もあるんですね。

 

氏の名言に「音楽は魂で感じ取られるもの、音楽を理解するだけでは充分でない」という言葉があります。師の中原淳子氏のレッスンを享受させて頂いた中にも、このエッセンスが脈々と受け継がれ息づいているのが感じられ、私の中にも浸透し吸収されてきました。厳しい師匠のもとで長年修行の日々を過ごした結果、音楽要素の表現の仕方が、自分の中から自然と湧き出してきます。まさに音楽は内側からにじみ出すもの、なんですね。

 

氏のお墓が、松戸の八柱霊園にあります。管理事務所で区画を尋ね、墓前にお参りしたことがあります。霊園内のメイン通りに面した広めの区画に著名人のお墓があるので、見つけやすいです。日本音楽界に多大な影響を与えた氏、多くの人に関わり影響を与えてくれたからこそ、そのほんの末端にしか過ぎないですが、わずかにでもその音楽性に私も触れてエッセンスを受け継ぐことができたのです。本当に、ご縁と運とお1人お1人の師に、感謝しかありません。

 

師匠の厳しいレッスン修行に耐えてきた以外は、私の経歴はいたって平凡ですが、いくつかの経験をご紹介します。小学高学年の音楽授業の時に、「この歌の伴奏できる人!」と抜き打ちでつのられた際、即興で伴奏をすることがありました。音楽の教科書の歌にはコードネームが付いているので、それが分かればすぐに一応の伴奏ができるんですね。ピアノ教室のレッスンでイタリア語のドレミではなく、ドイツ語のCDE(ツェー・デー・エー)で仕込まれていたため、メジャー・マイナー・セブンスなどの基本を押さえれば、コードネームを使えたのでした。ギターで弾き語りをする、ピアノ版のイメージでしょうか。当教室では、日本の義務教育で慣れ親しまれたドレミでレッスンを行うようにしていますが、ご希望があればコードネームについてもお教えできます。

 

中学時代は合唱部に所属し、歌と共に、ピアノ伴奏も担当していました。また、クラス対抗合唱コンクールでも毎年伴奏を担当していました。クラス内で他に弾ける人がいない場合は課題曲と自由曲の両方を担当することになるので、中2と中3の時は2曲弾いていたと思います。ピアノ教室でのクラシック曲と同時進行だった上、合唱曲伴奏はレッスンでは一切見てもらえない環境でしたが、ちゃんとやっていました。元々厳しく鍛え上げられていたお陰で、こなせたんですね。師匠に「定期考査だからあまり練習していない」という言い訳をしたことはあっても、「合唱部・合唱コンクールの伴奏で大変だから練習不足」と告げたことは一度も無かったです。

 

高校は取手松陽高校でした。当時まだ音楽科はありませんでしたが、既に「芸術科目に力を入れていく学校」でしたので、音楽の先生から声をかけられ、音楽活動に参加させて頂きました。吹奏楽部・定期演奏会の「ソロ部門」でピアノを披露したり、吹奏楽県コンクールに同行して別会場で行われるピアノソロ部門で演奏させて頂いたりと、いくつもの貴重な経験を積ませて頂きました。今振り返ってみても、大切な思い出でもあり、とてもありがたいことでしたね。

 

高校卒業時に、ピアノをやめることを師匠に告げた時「跡を継いでくれると思った」と、それまで一度も触れたことの無いお話をされ、寝耳に水でとても驚きました。「この地域で先生として活動をしてほしい」…それくらいの熱意と責任を持ってしっかりと教えて頂いたということなのでしょう。当時は想定外すぎて、面食らいました。進学する短大は片道2時間・往復4時間通学でしたし、課題で追われる日々の中、師匠が納得する練習量を確保できるとも思えず、正直やめることしか考えられませんでした。師匠に引き留められつつも応えられない辛さで、涙涙のお別れでした。

 

その後「学歴をつけ、大手企業に就職する」という、世間一般で言われている正しさのような道を進んでいきました。コンピューターメーカーに潜り込みはしましたが、自分の適性に全く合っていない業務内容( IT系)。石の上にも3年という言葉がありますが、実際には5年という長い期間を費やして、努力・根性・忍耐で辛抱強く取り組みました。それも空しく、結局その業務に慣れることはありませんでした。毎日毎日脳ミソを雑巾絞りするかのように、無い知恵を絞りプログラムのロジックを組んでいく作業は、受験勉強よりきつかったです(笑)。理系頭脳の持ち主でないと、文系もとい芸術系脳では、どだい無理な世界だったのですね。人には、持って生まれた向き不向きがあるということを、身を持って理解した経験でした。

 

その後、販売系に転職し数年してから結婚しました。結婚式の時、せっかくだからと自身の結婚披露宴でピアノ演奏をしました。ピアノ発表会でもないのにバリバリのクラシックでは、いらしたお客さまに引かれてしまうと思い、ニューエイジ(癒し系)から選曲し、ジョージ・ウィンストンの「Longing/Love あこがれ/愛」を弾きましたね。

 

そして出産・子育てが落ち着いた頃、何かしらの仕事復帰をという思いが日に日に強くなっていった時に、一念発起をしてピアノ教室を立ち上げることに致しました。まだまだ、弾きたい曲が沢山あったからです。昔々の師匠とのお別れ当時やその後も、日々を生きていくことに必死で全く具体的に考えてこなかったのですが、ずっと後になってみてやはり、この道に戻る選択しかありませんでした(笑)。

 

レッスンを始めるにあたり、私が生徒だったら「こんな風がいいな」を形にするよう心を配りました。大雑把に言いますと「褒めるところはしっかり褒める」「厳しすぎない」「曲を選べる」ということです。生徒さんの美しい演奏に鳥肌が立てば、それをそのまま素直に表現し、生徒さんが「期末テストで進んでない」「合唱伴奏がメインで進んでない」と告げてくれば「ハイ」と責めずに受け入れてあげ、「伴奏を見て欲しい」「今度はこういう曲がやりたい」と伝えてくればそれにお応えする…これだけですが、生徒さんとの信頼関係が育まれていくのか、師匠のように厳しくしなくとも、皆さん概ねしっかりやってきてくださいます。もちろん、日々のレッスンは常に熱意を持って行なっていますし、どうやらその熱量が生徒さんに浸透して、良い意味で皆さんそのエネルギーに動かされていくようです。ですから、ピアノは「誰に習うか」「相性はどうか」ということが大事なのですね。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。